
夕方に送ったメッセージに、まだ返事がない。
夜になって、もう一度画面を見る。
返事はない。
ここまでなら、起きていることはそれだけです。
でも頭の中では、
「何か変なことを書いたかな」
「怒っている?」
「嫌われた?」
「このまま関係が悪くなるかも」
と、その先がかなり進んでいることがあります。
返事がない数時間のあいだに、現実ではまだ起きていない出来事がいくつも増えている。
不安なとき、苦しくなる材料は「今起きていること」だけとは限りません。
まだ起きていない未来も、いつの間にか現在と同じ場所に並びます。
返事がない。その後ろに、何行足した?
たとえば今、確かめられることを書けば、
「夕方にメッセージを送った」
「まだ返信はない」
ここまでかもしれません。
一方で、
「怒っている」
「嫌われた」
「関係が悪くなる」
は、まだ確認されていません。
あり得ない、と言いたいわけではありません。
本当に怒っているかもしれないし、何か気になることがあったのかもしれない。
ただ、あり得ることと、もう起きていることは別です。
不安が強いと、この二つが同じ濃さで見えることがあります。
まだ返事がない、という一つの事実の後ろに、頭の中で何行も未来を書き足してしまう。
その未来まで全部「今の問題」にすると、まだ起きていないことへの対応まで、今夜の自分が背負うことになります。
今できることが「待つ」しかない日もある
事実と予測を分けたら、その次に見るのは、
「今、自分にできることはあるか」
です。
急ぎの用件なら、必要な確認をすることはできます。
自分の文章に誤解を招くところがあったと思うなら、それが本当に必要になった時に言い直すこともできます。
でも、今は何も確かめられないなら、今できることがないという答えになることもあります。
これは投げ出すこととは違います。
未来の返事を、現在の自分が代わりに作れないと認めるだけです。
不安は、何か起こるかもしれないと知らせる警報でもあります。
だから、鳴ったこと自体を責めなくていい。
警報が鳴ったら、
「実際に起きていることはどこまで?」
「その先は予測ではないか?」
「今できることはある?」
と、足元へ戻ってみる。
それでも不安が残ることはあります。
残っていて構いません。
目標は、不安をゼロにすることではなく、まだ来ていない未来に今夜の全部を持っていかれないことです。
返信は、まだ来ていない。
そして、悪い未来もまだ来ていない。
今夜扱えるのは、その間にある、今のところまでです。


