予定の3倍かかった。それは「向いていない証拠」まで含んでいる?

初めて作る資料に、1時間くらいを見ていた。

実際には、3時間かかった。

途中で何度も調べた。
作り直した。
最後には予定していた別の作業まで押した。

ここまでは事実です。

でも、作業が終わるころには、別の一文がくっついていることがあります。

「自分は要領が悪い」
「こういう仕事に向いていない」

3時間かかった。

その事実の中に、本当にそこまで書いてあるでしょうか。

事実は動かさない

再解釈というと、嫌な出来事を前向きに言い換えることだと思われることがあります。

でも、3時間かかったものを、

「いい経験だったから問題ない」

で消す必要はありません。

予定が押したことも事実です。
疲れたことも事実です。
見積もりが外れたことも事実です。

そこはそのまま置く。

そのうえで、

「3時間かかった = 自分は向いていない」

のイコールだけを、一度外してみます。

同じ3時間に、別の意味を置いてみる

たとえば、こんな見方もできます。

初めてだったので、調べる時間まで入っていた。

1時間という見積もりの方が、仕事内容を十分に知らずに置いた数字だった。

どこで時間を使うかが、今回初めて見えた。

次回は最初から型を作れば、同じ3時間にはならないかもしれない。

どれも、

「実は大成功だった」

とは言っていません。

3時間かかったという絵は変えていない。

違うのは、その絵から何を読むかです。

「向いていない」と読むと、次の行動は「もうやらない」になりやすい。

「初回の探索時間が含まれていた」と読むと、「次回は調べたことを残す」が出てくる。

「見積もりが甘かった」と読むと、「次は2時間で予定を取る」が出てくる。

意味が変わると、見える次の一手が変わります。

どの意味が正しいかを急いで決めなくていい

もちろん、本当にその仕事が合わない可能性もあります。

何度やっても強く消耗する。
他の仕事より明らかに苦しい。
続けたい理由もない。

そういう情報が積み重なれば、

「向いていない」

という見方が妥当になることもあります。

再解釈は、嫌な結論を禁止する技術ではありません。

都合のいい意味へ逃げることでもない。

まだ材料が一回分しかないときに、最初に浮かんだ意味だけを最終判決にしない。

そのくらいの余白を作るものです。

「おかげで」に直さなくていい

苦しい出来事に、無理に意味をつける必要はありません。

失敗のおかげで成長した。
つらかったおかげで強くなった。

そう思える日もあるでしょう。

でも、しっくり来ないなら着なくていい。

損をしたことは損のままでいい。
傷ついたことは傷ついたことのままでいい。

再解釈で動かすのは、事実ではありません。

その事実が、自分に何を命じるか。

「もうやめろ」しか聞こえなかったところに、

「やり方を変える」
「もう一度だけ試す」
「別の条件ならどうか見る」
「それでも違うならやめる」

という別の出口が見えることがあります。

予定の3倍かかった。

その出来事は一つです。

でも、その出来事から作る意味まで、一つに固定されているわけではありません。


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