
これだけ覚えよう
- 起きた出来事は変えられなくても、その出来事をどう受け取るかは一つとは限らない。
- バスが20分遅れる事実は同じでも、「奪われた20分」とも「空いた20分」とも考えられる。
- 捉え方が変わると、そのあとに取れる行動が変わることがある。
- ただし、つらい出来事を無理やり前向きに言い換える必要はない。
- 事実を変えずに、「ほかの見方をすると何ができる?」と考えてみる。
二十分
バスが来ない。
時刻表では、七分前に出ているはずだった。掲示板には遅延とだけ出ている。理由は書かれていない。
腕時計を見る。次は二十分後だ。
二十分。
奪われた、と思う。この二十分は、こちらが何かをするはずだった二十分で、それが取り上げられた。そう思うと、立っている場所が急に狭くなる。二十分ぶん、こちらは損をしている。
事実を確かめておく。
バスは来ていない。次は二十分後。理由は不明。屋根はある。雨は降っていない。
これは動かない。
動かないところは、そのままにしておく。動かせるのは、この二十分を何と呼ぶか、そちらだけだ。
奪われた二十分、と呼ぶこともできる。
空いた二十分、と呼ぶこともできる。
呼び方を変えたところで、バスは来ない。予定にも間に合わない。遅れる連絡は、どちらの呼び方でも入れなければならない。
だから、これは嘘ではない。同じ二十分を、別の名前で持っているだけだ。
試しに、空いた二十分、と言ってみる。
言ってから、鞄を開けて、先週から入れっぱなしの封筒を出した。読むつもりで入れて、読まないまま持ち歩いていたものだ。
十五分で読み終わる。
読み終わって、まだバスは来ない。
奪われた、と呼んでいたあいだ、鞄を開けようとは思わなかった。呼び方が変わったのではなく、手が動くかどうかが変わった。
もう一つ、言っておくことがある。
呼び方を変えられない日もある。急ぎの用があって、二十分が本当に痛いとき、空いた二十分です、と言えと言われても言えない。言えば、嘘になる。
そういう日は、奪われたままでいい。
今日は、たまたま言えた。
バスが見えてくる。
乗って、いつもより一本後ろの席に座った。
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