「なんでまたできないの?」は、本当に質問になっている?

やるつもりだったことが、今日もできなかった。

すると頭の中で、

「なんでまたできないの?」
「本当に続かないな」

という言葉が始まる。

「なんで?」と聞いているので、一見すると理由を探しているようにも見えます。

でも、

「帰ってきた時点でもうかなり疲れていた」
「始める前に別の用事が入った」

と答えようとしても、

「でも、できなかったよね」

で終わる。

それなら最初の「なんで?」は、答えを聞くための質問ではなかったのかもしれません。

独り言には、返事をする場所がないことがある

自分の頭の中では、言葉はいくらでも続きます。

「またできなかった」
「どうせ続かない」
「明日も同じだ」

一人で話しているので、会話のようにも見えます。

でも、同じ方向の言葉だけが流れ続けているなら、そこには返事をする場所がありません。

誰かに、

「なんでできなかったの?」

と聞かれて、理由を話した瞬間に、

「言い訳しなくていい」

と返されたら、それは相談ではなく尋問に近いでしょう。

自分に対しても、同じことは起こります。

問いを変えると、答えが出てくる

「なんでできないの?」の代わりに、

「どこで止まった?」

と聞いてみる。

すると、

帰宅した時点でもう疲れていた。
夕食後に電話が入った。
始めようとしたら、何から手をつけるか分からなかった。

と、少し具体的な返事が出てくることがあります。

さらに、

「そのとき、どんな感じだった?」

と聞けば、

面倒だった。
焦っていた。
失敗したくなかった。

と、事実とは別のものも見えてきます。

最後に、

「じゃあ、今必要なのは何だろう」

まで聞ければ、休むのか、順番を決めるのか、誰かに相談するのかを考えられる。

同じ未完了の一日でも、そこで初めて自分の中に返事が生まれます。

自分を名前で呼ぶと、少し距離ができる人もいる

頭の中の言葉が近すぎるときは、自分の名前を入れてみる方法もあります。

「○○、今日はどこで止まった?」

たったそれだけで、自分を責める側と責められる側の間に、ほんの少し距離ができる人もいます。

もちろん、名前で呼べば必ず楽になるわけではありません。

大事なのは、自分を別人のように扱うことではなく、返事のできる余白を作ることです。

事実は何だったのか。
どんな気持ちだったのか。
今、何が必要なのか。

その三つが同じ机に載ると、頭の中の空気が少し変わります。

「できなかった」という事実は消えていません。

それでも、部屋が尋問室のままなのか、話し合える部屋になるのかは違います。

自分への言葉を全部やさしくする必要はありません。

厳しい事実がある日もあります。

ただ、質問の形をした攻撃を、質問のままにしない。

自分への言葉が多いことと、自分と話せていることは同じではありません。


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