
これだけ覚えよう
- ものをグループに分けるときは、「何のために分ける?」を先に考える。
- 洗濯物なら、「お父さんのもの・お母さんのもの」と分けてもいいし、「明日使うもの・使わないもの」と分けてもいい。
- 同じシャツでも、目的が変われば入るグループは変わる。
- だから、カテゴリーは「そのものが本当は何者か」を一度で決めるものではない。
- 目的が変わったら、前の分け方を崩して、分け直していい。
夕方の山
取り込んだ洗濯物が、畳の上でひとつの山になっている。
日が傾いている。夕飯までに配ってしまいたい。
だから、手が動く。
父。母。妹。自分。
山が四つになる。
シャツが一枚、父の山へ。
靴下が二足、妹の山へ。
薄いタオルは、どこの山でもないので、右の端へ。
同じ形の靴下でも、片方は父の山へ行く。似ているかどうかで手が動いているのではない。誰へ渡すかで動いている。
途中で、明日の朝のことを思い出す。
早く出る。たたむより先に、明日着るものだけ出しておきたい。
手が止まる。
四つの山を、両手で崩す。
明日着るもの。今週は着ないもの。
山が二つになる。
さっき父の山にいたシャツは、いま、妹のスカートと同じ山にいる。
その次に、アイロンのいるものといらないものへ、もう一度組み直す。シャツはまた動く。今度は、母のブラウスの隣にいる。
どの山でもなかった薄いタオルは、二度目の組み直しで「明日使うもの」の真ん中にいた。端に置かれていたのは、そのタオルの性質ではなかった。
山の数も、そのつど違う。配るなら四つ、明日の支度なら二つ。いくつに束ねるかまで、夕方の用事が決めている。
シャツは、一度も変わっていない。
袖の長さも、襟の形も、ボタンの数も、朝干したときのままだ。
動いたのは、夕方までに何をしたいか、そちらのほうだった。
何のためのまとまり。
先に決まるのはそれで、山はあとからできる。山につけた名前も、服の側から出てきたものではない。夕方のこちら側から出ている。
「父のシャツ」も本当だ。「明日着るもの」も本当だ。「アイロンのいるもの」も本当だ。三つとも、たしかにそのシャツについている。けれど、そのどれも、シャツの住所ではない。
一度できてしまった山は、しばらく置いておくと、はじめからそこがその服の場所だったように見えてくる。手で崩すまで、そう見え続ける。
崩すのは、いつでもできる。両手で、いちどに。
崩したあと、畳の目が見えるのは、いつも違う場所だ。
配り終えると、山は一つも残らない。
畳が見える。服は、それぞれの人のところにある。
明日の夕方には、また山ができる。
同じ服で、たぶん違う数だけ。
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