
これだけ覚えよう
- 似たことが何度も起きたら、「何か同じ形がないかな?」と探してみる。
- plays・likes・goes →「あ、同じような変わり方をしている」→ 共通するルールを探す。
- 数学でも、初めて見る問題の中に「前にやったあの形と同じだ」と気づけると解きやすくなる。
- 経験が増えると、「前にもあった形」に気づきやすくなる。
- ただし、似て見えたからといって本当に同じとは限らない。最後に「今回は違わない?」も確認する。
三つ目の足跡
雪の上に、足跡が一つある。
何かが通った。それだけしか分からない。
少し先に、もう一つ。
偶然かもしれない。
三つ目、四つ目と続いたとき、向きが見え始める。
ばらばらに見える出来事の中から、繰り返し現れる形を見つけること。それが、パターン認識である。
英語を習い始めた頃、plays、likes、goes という変化は、どれも別々の面倒に見える。
けれど「主語が三人称単数のとき」という繰り返しに気づいた瞬間、ばらばらだった暗記が、一つの形に収まる。
数学も同じだ。問題文はどれも違って見える。
「これは二次関数だ」と分かった瞬間、初めて見た問題の中に、見覚えのある形が現れる。
同じ景色を見ていても、見えている形の数は人によって違う。
サッカーの初心者は、ボールを目で追う。
経験者は、ボールのないところを見ている。
選手の間隔。空いている場所。相手の重心の向き。
ボールは一つしかないが、形はいくつもある。経験とは、たぶん、見える形の数のことだ。
人間関係にも、繰り返しはある。
いつも同じことで怒る人。いつも似た相手を好きになる人。いつも同じ場面で失敗する人。
一つひとつは偶然に見える。
けれど、何度か続いたとき、そこに向きが現れる。
ただし、繰り返しを見つける目には、危ないところがある。
見つけた形のほうが、目の前のものより先に見えてしまうのだ。
「こういう人は信用できない」
一度そう思うと、目の前にいる人ではなく、頭の中のラベルを見るようになる。
人は、繰り返しを見つけることで世界を理解する。同時に、繰り返しによって、世界を見なくなることもある。
子どもの絵を見てほしい。
遠近法もない。形も崩れている。
それでも時々、大人には描けない絵がある。
大人は、花を描こうとすると「花の形」を描く。
子どもは、いま見えているものを描く。
足跡は、まだ足跡である。
一つでは、何かが通った。
二つでは、偶然かもしれない。
三つ目で、向きが見える。
そこまで見えたら、いったん顔を上げて、目の前の雪を見る。
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