記憶OS 第13章|テスト効果

これだけ覚えよう

  • もう一度見る前に、まず「見ないで思い出す」をやってみる。
  • ノートを見ながら「分かった」と思っていても、閉じると出てこないことがある。
  • 見ないで出そうとすると、出せるところと、出せないところが分かる。
  • 思い出そうとすること自体も、覚える練習になる。
  • 復習は「また読む」だけでなく、「閉じて出してみる」も入れる。

見ながらできたこと

ほどけない結び方を教わった。

相手の手元を見ながら、同じように指を動かす。輪を作って、もう一つ輪を作って、片方をくぐらせる。三度やって、三度ともできた。できました、と言って別れた。

数日後、玄関で靴紐を持つ。

一つ目の輪はできる。二つ目もできる。そこで指が止まる。

どちらをくぐらせるのか。上からか、下からか。

止まっているあいだ、頭の中には、あの日の手元が見えている。見えているのに、自分の指が動かない。

間が空いたからだ、と言いたくなる。けれど、教わったその日の夜にやっても、たぶん同じところで止まった。あの三度は、指が動いた三度ではなく、目が追った三度だったからだ。

こういうとき、たいてい、すぐに動画を探す。開けば五秒で分かる。ああ、これだ、と思う。そして次にまた、玄関で止まる。

開かずに止まっていた三十秒のほうに、こちらの持っていないものが出ている。

止まった場所は、一つ目の輪ではなかった。二つ目の輪でもなかった。くぐらせる向き、そこだけだった。

見ながらやっているあいだ、この一点は、ほかの動作と同じ顔をしていた。全部が同じ速さで進むので、区別がつかない。できているように見えるのは、できていない場所も一緒に運ばれていくからだ。

もう一度見る、と、見ないで出す。

同じ材料に対する二つのやり方だが、返ってくるものが違う。

もう一度見ると、分かっているという感じが戻ってくる。全体が、また平らになる。見ないで出すと、平らだったところに段ができる。出る場所と、出ない場所に分かれる。

前者は気持ちがよく、後者は気持ちが悪い。だから、たいてい前者を選ぶ。

分かれ目が欲しいときは、見ないほうを選ぶしかない。見ているあいだは、分かれ目が出ない。

そして、見ないで出そうとすると、たいてい、思っていたより出ない。

これは、知らなかったということではない。目で追えていたものが、指のほうへは来ていなかった、というだけのことだ。見て分かる場所と、自分から出せる場所は、はじめから同じ広さではなかった。

ただ、分かれ目が出るだけではない。

止まっているあいだ、こちらは何も受け取っていない。受け取っていないのに、指のほうは動こうとしている。上からか、下からか、と手が探っている。あの三十秒は、できるかどうかを見ている時間であると同時に、やっている時間でもあった。

だから、そこで開かずにいた一点は、開いて確かめた一点とは、次に紐を持ったときの出かたが違う。少なくとも、こちらの手ではそうだった。どれくらい違うのかは、そのときによる。必ずそうなるとも言えない。

言えるのは、ここでは、測ることと練習することが分かれていない、ということだ。

どちらが効くか、と最初に聞きたくなる。けれど、見ないで出すという一つの行為が、分かれ目を出しながら、同時にその分かれ目のほうへ手を伸ばしている。二つの作業が、同じ三十秒に入っている。

玄関で、もう一度、紐を持つ。

開く前に、指だけで始める。

一つ目の輪。二つ目の輪。

ここから先が、まだこちらに来ていない場所だ。


おすすめの記事