
これだけ覚えよう
- 説明だけで分かりにくいときは、「たとえば?」と聞いてみる。
- 「物価が上がる」より、「昨日100円だったお菓子が120円になる」のほうが景色を思い浮かべやすい。
- ただし、一つの例だけを見ると、その例だけの特徴までルールだと思ってしまうことがある。
- たとえば鳥をスズメだけで覚えると、「鳥は小さくて飛ぶもの」と勘違いするかもしれない。ペンギンやダチョウも見ると直せる。
- 人からもらった例だけでなく、自分の身近な例を一つ作れると理解しやすい。
言葉が、地上に降りる
「優しさとは、他者への共感的配慮である」
教室が、静まり返る。
「たとえば、電車で席を譲ること」
何人かが、頷く。
説明は、ほとんど増えていない。
それでも、二つ目の言葉には景色がある。電車があり、座席があり、目の前に立っている人がいる。誰かが腰を上げ、場所を空ける。
上空を飛んでいた「優しさ」という言葉が、見慣れた街へ降りてきた。
例は、言葉の着陸である。
「たとえば?」は、階段を降りる合図だった。
ここで問うのは、その先である。
「たとえば、どの場面?」
どこへ降ろせば、相手の目に景色が見えるのか。
よい例は、聞き手の近くに降りる。
小学生に経済を説明するとき、最初から株式市場へ連れていく必要はない。
駄菓子屋で、昨日まで百円だったお菓子が、百二十円になっている。同じ百円を持っていても、昨日と同じものは買えない。
そこからなら、物価が上がるという話に入っていける。
説明が上手な人は、難しい言葉を簡単な言葉へ置き換えているだけではない。相手がすでに知っている街を探している。
例を出そうとして、最初から三つも四つも並べることがある。
けれど、着陸する飛行機は、まず一機でいい。
「慣性とは、動いているものが、そのまま動き続けようとする性質です」
そう聞いても、まだ少し遠い。
「電車が急ブレーキをかけると、体だけ前へ倒れそうになる。あれです」
一つの景色が見えれば、言葉は地面に触れる。
ただし、一つだけでは、その例にしかない特徴まで、概念の条件に見えてしまう。
鳥の例として、スズメだけを見る。
小さい。茶色い。空を飛ぶ。
そのすべてが、鳥の条件に見えるかもしれない。
そこへ、ペンギンを置く。空を飛ばない鳥が現れる。
さらに、ダチョウを置く。小さくもない。
一つ目の例は、理解を始める。
二つ目からの例は、誤解を減らす。
教科書の例は、よくできている。けれど、それはまだ、他人の街の住所である。
「損失回避とは、同じ大きさなら、得をする喜びより、失う痛みを強く感じやすいこと」
そう聞いたあとで、ふと気づく。
「同じ千円なのに、もらったときのうれしさより、落としたときの痛みのほうが大きかった。あれか」
その瞬間、借り物だった言葉が、自分の記憶とつながる。
自分で作った例は、少し不格好でもいい。その人が歩いた道、困った場面、忘れられない会話の中へ降りたとき、知識は初めて、その人の景色になる。
何かを分かったと思ったら、一度だけ聞いてみる。
「たとえば、どの場面?」
例が出なければ、理解していないと決めつける必要はない。ただ、まだ着陸の途中なのだと分かる。
もう一度読む。別の例を見る。自分の経験を探す。
例を増やすのは、説明を豪華にするためではない。一例に偶然ついていたものを剥がし、別の例にも残る形を確かめるためである。
自分の例が一つ置けたとき、借り物だった言葉は、自分の街へ住民票を移している。
その一例が、次に同じ言葉と出会ったときの、小さな滑走路になる。
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