
これだけ覚えよう
- 知っている言葉でも、人によって意味が少し違うことがある。
- たとえば「優しい人」と聞いて、「何でも手伝ってくれる人」を思う人も、「ダメなことはダメと言ってくれる人」を思う人もいる。
- 言葉の意味を考えるときは、「何が入るか」だけでなく「何は入らないか」も考える。
- 「努力」「普通」「ちゃんと」など、よく使う言葉ほど、実は中身を確かめないまま使いやすい。
- 定義は人を言い負かすためのものではない。自分と相手が同じ意味で話しているか確かめるために使う。
開けたことのない言葉
辞書で「優しさ」を引くと、「思いやり」と書いてある。
「思いやり」を引くと、「相手の気持ちを察すること」。
「察する」を引くと、「おしはかること」。
「おしはかる」を引くと、また「察すること」へ戻ってくる。
言葉は、言葉で説明されている。手をつないだ輪の中に、実物は一人もいない。名前とは、その中身を毎回確かめずに済ませるための、短い省略である。
それでも私たちは、その輪の中で不便なく暮らしている。毎日その言葉で、人を褒め、人を責め、誰と生きるかを決めながら。
「ちゃんと考えて」
「もっと努力しなさい」
「自由に生きたい」
「あの人は、優しい」
言い終わったとき、口の中には何も残っていない。言われた側の手にも、何も乗っていない。
名前は、軽い。中身がなくても、持ち運べてしまう。何年でも。
あなたが「優しい人」と言うとき、その言葉の中には、頼めば断らない人が住んでいる。
私が「優しい人」と言うとき、その言葉の中には、言いにくいことを言ってくれた人が住んでいる。
私たちは同じ言葉で、違う人の話をしてきた。しかも、噛み合っているように聞こえていた。
私たちは、同じ言葉を交わしただけで、同じ約束をしたと思ってしまう。
ずっと一緒にいよう。
無理はしないでおこう。
困ったときは、言ってね。
「一緒」とは、どのくらい近くにいることだろう。
「無理」は、どこから始まるのだろう。
「困った」は、助けを求められるうちのことか。もう動けなくなった後のことか。
外から見れば、同じ約束に見える。そして人は、あとになって、裏切られたと思う。
これは何か、と問い続けても、言葉は膨らむばかりで、縁ができない。
これは何ではないか、と問うたとき、初めて縁が立つ。
優しさは、甘やかすことだろうか。
黙っていることだろうか。
怒らせないことだろうか。
後で困らないようにすることだろうか。
一つ、外へ出す。また一つ、外へ出す。
残ったものの形が、その言葉の形である。
知らない言葉は、調べる。意味が分からないと、落ち着かないからだ。
知っている言葉は、調べない。落ち着いてしまうからだ。
名前がつくと、そこで問いが閉じる。
だから人は、いちばん多く使う言葉の中身を、いちばん見ないまま生きていく。
自由。努力。才能。普通。ちゃんと。
この五つで進路を決め、仕事を選び、誰かを諦めた人がいる。五つとも、開けたことはない。
定義理解とは、その言葉が何を指し、何を含み、何を含まないのかを見ること。
言葉の輪郭を、つかむこと。
問いは短いほうがいい。
「それは、具体的にどうすることか」
自分の口から出た言葉にも置ける。誰かから渡された言葉にも置ける。
置いた瞬間、「ちゃんとやる」が、今日どこから手をつけるかに変わる。
ただし、この問いは刃にもなる。
「で、定義は?」と誰かに突きつけるとき、その問いはもう、言葉を確かめていない。
相手が言葉に詰まり、黙り込む瞬間のほうを見ている。
だから、先に自分の言葉へ置く。
明日も辞書は、同じ円を描いている。言葉が言葉を指し、その言葉がまた別の言葉を指す。
変わるのは、こちら側だ。
使い慣れた言葉を口に出す前に、一度だけ、手が止まるようになる。
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