
これだけ覚えよう
- 言葉だけで分かりにくいときは、丸・線・矢印で紙に描いてみる。
- 「AがBにつながる」「BとCが関係する」のような話は、一枚に置くと同時に見やすくなる。
- 図にすると、話している人どうしが「どこが違うのか」を同じ紙の上で指せる。
- ただし、図は現実そのものではない。描かなかったものは、図の中では見えなくなる。
- きれいな図を作る必要はない。「何と何がどうつながっている?」が見えれば十分。
同じ紙を、見る
会議が、二時間続いている。
全員が同じ企画について話している。同じ言葉も使っている。
それなのに、話は少しもかみ合わない。
誰かが立ち上がり、ホワイトボードに丸を描く。そこから線を伸ばし、別の丸へつなぐ。
部屋が静かになった。
全員が、初めて同じものを見たからである。
言葉には、隠れた制約がある。
一列にしか、並べられないのだ。
文章は、どんなに複雑な内容でも、一本の紐として流れていく。
けれども、現実は一列ではない。
一つの出来事が、いくつもの出来事につながる。別々に起きたように見えることが、実は同じ原因から生まれていることもある。さらに、最後に起きたことが、最初の原因をもっと大きくすることもある。
寝不足で集中できず、宿題に時間がかかり、寝るのが遅くなって、また寝不足になる。
文章の中では順番にしか読めなかった関係を、一枚の上へ同時に置く。それが、図式化である。
図は、説明を短くする道具ではない。
世界を同時に見るための道具である。
話し合いがかみ合わないとき、言葉の意味が違うとは限らない。
同じ「売上を増やす」という言葉を使いながら、ある人は新しい客を増やすことを考えている。別の人は、商品の質を高め、もう一度来てもらうことを考えている。
言葉だけで話しているあいだは、その違いが見えにくい。
紙に書けば、指させるようになる。
「私は、ここが先だと思う」
「その前に、これが必要ではないか」
「この二つは、つながっていないのではないか」
ホワイトボードの一枚が起こすのは、意見の統一ではない。
ずれの、可視化である。
輪にすると、初めて見えるものもある。
忙しいから、確認を減らす。
確認を減らしたために、ミスが増える。
ミスを直すために、さらに時間がなくなる。
言葉で追っていると、「忙しいから仕方がない」という話に見える。
けれど図の上では、忙しさが自分自身を増やしている。
どこへ手を入れるかは、その輪を見てから決められる。
ただし、図は現実そのものではない。
何を中央に置くか。何を大きく描くか。どの関係を線で結ぶか。
その選び方によって、同じ出来事でも違う図になる。
図に描かれたものは、重要に見える。図の外へ置かれたものは、存在しないように見える。
だから、ときどき線の外側を見る。
「この図には、何が描かれていないのだろう?」
言葉で行き詰まったら、道具を替えてほしい。
丸と、矢印と、線だけでいい。画力は、一切関係がない。
美しく描く必要も、最初から正しく描く必要もない。描きながら、線を消し、丸を足し、位置を入れ替えればいい。
その紙の上で、二人が同じ場所を指せたなら、それだけで、二時間分の会話より前へ進んでいる。
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