
これだけ覚えよう
- 意見の下には、本人も気づいていない「当たり前」が隠れていることがある。
- 「車は必要だ」と思う人と「車はいらない」と思う人では、住んできた場所が違うのかもしれない。
- 意見がぶつかったら、結論だけでなく、「何を当たり前だと思っている?」を見てみる。
- 「普通は」「常識では」と言いたくなったら、「その普通は、どこで覚えた?」と自分にも聞いてみる。
- 前提に気づいても、すぐ捨てなくていい。まず「自分はこの見方をしていた」と知ることが大切。
魚が最後に見つけるもの
魚が、いちばん最後に発見するのは、水である。
そんな言葉がある。
「車は、生活に必要だ」
電車が一時間に一本しか来ない町で育った人にとって、それは疑う必要のない事実かもしれない。
一方、駅まで歩いて三分の街で暮らしてきた人は、「車がなくても困らない」と考える。
二人が話し始めると、「車がないと生活できない」「なくても普通に暮らせる」と、結論がぶつかる。
けれども、争っていたのは結論であり、違っていたのは、その下に沈んでいる景色のほうだった。
意見や判断の下にある、口にされていない「当たり前」を見ること。それが、前提把握である。
人の意見は、何もない場所から突然生まれるわけではない。
育った家庭。暮らしてきた地域。過去の成功や失敗。所属している仕事や集団。
そうしたものの上に、「普通はこうだ」「当然こうする」という感覚が作られていく。
前提は、意見よりも深い場所にある。そのため、本人にも見えていないことが多い。
夫婦の一方が、少し大きな買い物をした。
「どうして先に相談してくれなかったの?」
そう言われた側は、驚く。
「この程度のことまで、いちいち相談するの?」
二人が話しているのは、買い物の金額だけではない。
一方は、生活に関わることは二人で決めるのが当然だと思っている。
もう一方は、自分で支払えることは自分で決めてよいと思っている。
どちらも、自分の前提をわざわざ説明しない。あまりにも当然だからである。
その結果、相手の行動は、「私を大切にしていない」「細かいことまで支配しようとしている」という別の意味に見え始める。
行動だけを見れば、相手の性格の問題に見える。
けれども、前提まで見れば、二人が違うルールで同じ生活をしていたことに気づく。
相手の言葉を崩すだけでは、その下にあるものは見えない。
だから、議論の技術より先に要るのは、
潜水の技術である。
前提は、「これは私の前提です」と名乗ってはくれない。
多くの場合、「普通は」「常識的に考えて」「みんなそうしている」という言葉の中に隠れている。
そんな言葉を聞いたときは、一度だけ問いを置いてみる。
「その普通は、どこから来た?」
自分の家庭では普通だった。今の職場では普通だった。周囲の友人は、みんなそうしていた。
長く続いてきた習慣は、世界全体の決まりに見えやすい。
けれども、場所が変われば、普通も変わる。
誰かの常識は、その人が暮らしてきた世界の形をしている。
悩みを話した人がいる。その人は、ただ気持ちを聞いてほしかった。
けれども、聞いた側は、すぐに解決策を考え始める。
「こうした方がいい」「それは考えすぎだよ」「まず、これをやってみたら?」
話した人は、分かってもらえなかったと感じる。
聞いた人は、せっかく考えたのに、なぜ不満なのだろうと感じる。
善意は、どちらにもある。
ただ、会話とは気持ちを受け止める時間だと考えている人と、会話とは問題を解決する時間だと考えている人がいる。
やり方を責め合う前に、何を当然だと思っていたのかを見る。それだけで、すれ違いの形が変わることがある。
前提把握は、相手の考えを分析するためだけのものではない。
むしろ難しいのは、自分が暮らしている水を見ることである。
なぜ、私はこれを当然だと思うのだろう。
親から何度も言われたからかもしれない。過去に一度うまくいった方法を、どこでも通用すると思っているのかもしれない。反対の選択をして失敗した経験が、今も残っているのかもしれない。
前提に気づいても、すぐに捨てる必要はない。
水は、悪者ではない。
誰もが、何かの水の中で育つ。
その水があったから、生きられたこともある。
違う意見に出会ったとき、すぐに正しさを争う必要はない。
相手は、どんな世界を当たり前として生きてきたのか。
そして、もう一度だけ潜る。
自分は、どの水の中から、この人を見ているのだろう。
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