断られたのは、自分そのもの?

久しぶりに友人を誘った。

「今度、ご飯でも行かない?」

返ってきたのは、

「ごめん、今回はやめておく」

という短い返事だった。

少しへこむ。

そのあと、

「迷惑だったかな」
「もう誘わない方がいいか」
「たぶん自分とは会いたくないんだろうな」

と考え始める。

断られたのは一回の誘いです。

でも、受け取る側では、その一回の返事が次の誘い、その次の関係、自分そのものへまで広がることがあります。

断られて痛いことと、

その一回の返事で、この先まで全部決めること

は別です。

「今回はやめておく」という返事に、まだ書かれていない未来まで足していないか。

そこは分けて考えられます。

拒絶は、判決ではなく返事

断られた理由は、こちらには分からないことがあります。

予定が合わなかったのかもしれない。

今は会う気分ではなかったのかもしれない。

関係そのものに距離を置きたいのかもしれない。

どれかを都合よく決める必要はありません。

相手が本当に自分との食事を望んでいなかった可能性だってあります。

それでも分けられることがあります。

何が、誰に、どの条件で断られたのか。

今回断られたのは、

「この人と今度ご飯に行く」という一つの誘いです。

そこから、

「自分には人と付き合う価値がない」

まで広げるには、途中にかなり大きな飛躍があります。

拒絶は痛い。

だからこそ、その痛みの範囲まで必要以上に広げなくていい。

「次もだめだ」は、まだ返ってきていない

一回断られたあと、

「もう誘わない」
「もう応募しない」
「もう人に頼まない」

と決めると、その次の返事は永久に来なくなります。

これは、

「何度でも同じ相手に押し続けよう」

という話ではありません。

相手のNOは尊重する必要があります。

同じ誘いを繰り返すべきでない場面もあります。

ただ、一人から一度断られたことと、

これから先のすべての相手、すべての提案、すべての可能性は別です。

小さなお願いをして断られる。

誘ってみて予定が合わない。

提案して、「今回は違う」と返される。

そういう小さなNOを経験すると、

断られることと、自分全体が壊れることは同じではない、と少しずつ分かることがあります。

種を一つ捨てても、畑まで捨てなくていい

何かを差し出すことは、返事を相手に預けることでもあります。

誘い。
提案。
応募。
お願い。

差し出した以上、NOが返ってくる可能性は消せません。

そしてNOが返ってくれば、痛い日はあります。

痛くないふりをしなくていい。

その日は、種を一つ拾わずに帰ってもいい。

ただ、

「この種が芽を出さなかった」

から、

「もう何も植えない」

まで決めなくていい。

今年のこの場所では芽が出なかった。

それだけの返事なら、

土まで捨てる必要はありません。

拒絶の痛みを持ったままでも、次の春の可能性まで閉じなくていい。


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