
これだけ覚えよう
- 完璧に準備してから始めようとすると、いつまでも始められないことがある。
- 実際にやってみないと分からないことは、準備を続けているだけでは見つからない。
- 曲がった畝でも、植えたからこそ「ここだけ土が固い」と気づける。
- 完璧を求める気持ちの中には、失敗そのものより「失敗を人に見られたくない」気持ちが隠れていることもある。
- まず外に出せる形まで作り、やって分かったことを次に直す。
畝が曲がる
畑を借りて、二年目になる。
一年目は、何も植えなかった。
土を掘り返して、石を拾って、また掘り返した。本を三冊読んだ。土の酸度を測る道具も買った。準備をしているあいだ、失敗はしなかった。
失敗しなかったので、収穫もなかった。
二年目の春、また同じことを始めかけて、手が止まった。
このやり方だと、土がいい状態になった年には、たぶん、こちらは飽きている。
だから、その日のうちに植えた。
畝は曲がった。間隔もそろっていない。深さも、たぶん場所によって違う。
植えてから、後ろを見ると、線が波打っている。
三週間して、出方に差が出た。
畝の端のほうだけ、育ちが遅い。掘ってみると、そこだけ土が固かった。一年目に掘り返したときも、たぶん端は手を抜いていた。
それは、本には書いていなかった。
一年目に測った酸度は、正しかったのだと思う。ただ、酸度は、端の土が固いことを教えてくれない。
固いところは、来年、先に掘る。
分かったのは、植えたからだ。
完璧に整えてから始めよう、というのは、失敗しないためではなかった。
失敗が、外に出ないようにするためだった。準備をしている一年、こちらは誰にも何も見られていない。曲がった畝は、通りかかった人に見える。見えるところに置くのが、こわかった。
いま、曲がった畝が、道から見える。
隣の区画の人が、それを見て、水は朝のほうがいいよ、と言った。
去年は、誰も何も言わなかった。
秋に、少し採れた。
形は不ぞろいで、大きさもばらばらだった。
来年は、端から掘る。
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