
これだけ覚えよう
- 大きすぎる言葉は、小さく分けると分かりやすくなる。
- たとえば「考える」なら、「思い出す・比べる・分ける・理由を探す」などに分けられる。
- 「自分はコミュ力がない」も、「話しかけにくい」「質問のあと話を広げにくい」などに分けられる。
- 大きなままだと「自分はダメだ」で終わることも、分ければ「ここを練習しよう」に変えられる。
- 何をすればいいか分かるところまで分けたら、そこで止めればいい。
考えるって、何をすればいいの?
中学二年生の男の子だった。
数学のノートには、途中式がない。答えだけが、縦に並んでいる。
間違えると、消しゴムで消して、また答えだけを書く。
「ここ、どうしてこの答えになったの?」
「……なんとなく」
家でも、学校でも、彼は同じことを言われ続けていた。
ちゃんと考えなさい。
もっと考えてから解きなさい。
その日、私は聞き方を変えてみた。
「『考えて』って言われたとき、何してるの?」
彼はしばらく黙っていた。それから、少し怒ったような顔で言った。
「考えるって、何をすればいいの?」
その声には、何年分かの疲れが混ざっていた。
彼は、怠けていたのではなかった。
「考える」という言葉の中に、どんな動作が入っているのかが、彼にはまだ見えていなかっただけだ。
大きな言葉を、細かい動作に開くこと。それが、用語分解である。
「考える」を、開いてみる。
思い出す。比べる。分ける。理由をたどる。逆から見る。
「考えて」と言われても、手は動かない。動作が見えないからだ。
けれど「まず、似た問題を思い出してみよう」なら、手が動く。
大きすぎる言葉は、命令に見えて、その実、何も指示していない。
言葉の中には、易しい部品が畳まれていることがある。
「可処分所得」。
初めて見ると、身構える。
けれど、継ぎ目で開くと、「自分で使い道を処分できる、所得」。手取りの給料のことだと分かる。
難しい言葉は、ときどき、易しい部品が組み合わさってできているだけである。
一枚の大きな板に見えたものが、継ぎ目で開く。
開くことが、いちばん効くのは、自分を責める言葉である。
「自分は、コミュ力がない」
この一言は、大きくて、重くて、手のつけようがない。
けれど、開いてみる。
初対面の人に、話しかけられない。
質問はできるが、話題を広げられない。
緊張すると、声が小さくなる。
沈黙が続くと、嫌われた気がする。
開いたとたん、性質が変わる。
「コミュ力がない」は、動かせない。生まれつきの、大きな欠陥に見える。
けれど「初対面で話しかけられない」なら、練習できる。
「話題を広げられない」なら、広げ方を一つ覚えればいい。
欠点だったものが、開いた瞬間、練習できる場所に変わる。
大きな言葉のままでは、人は自分を責めることしかできない。
ただし、開きすぎても、見えなくなる。
一つの動作を、さらに細かく、さらに細かく割り続ければ、今度は全体がどこへ行ったのか分からなくなる。
分けるのは、扱うためだ。
次に何をすればいいかが見えたら、そこで止めていい。
あの生徒には、その日から「考えて」と言うのをやめた。
代わりに、答えられる問いを置いた。
どこまでは分かってる?
分からなくなったのは、どの行?
似た問題、前にやった?
しばらくして、彼は自分でその問いを使うようになった。
ある日、問題文を指して言った。
「先生、『適切な値を求めよ』の『適切』って、何?」
私は、すぐには答えられなかった。
二人でしばらく、問題文を眺めた。
大きな言葉の前で立ち止まり、開こうとしている。
その手つきは、もう、誰かに借りたものではなかった。
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