
これだけ覚えよう
- 不安なときは、「今わかっていること」と「まだ起きていない想像」を分けてみる。
- 返事が来ないと、「怒っているのかも」「忘れられたのかも」と、まだ起きていない話が頭の中で増えることがある。
- 可能性を全部「考えすぎ」と消す必要はない。まだ分からないものは、分からないまま残していい。
- そのうえで、「確認の連絡をする」「先に準備する」など、今できることを探す。
- 不安をなくしてから動くのではなく、不安が残ったままでも手の届くことはできる。
まだ何時か決まっていない
土曜の朝、九時。
午後に人が来ることになっている。何時に着くかは、まだ決まっていない。前の日に、着く時間が分かったら連絡します、と言われた。
九時十分。まだ来ない。
九時二十分。まだ来ない。
その十分のあいだに、頭の中では、もっと長いことが起きている。
来られなくなったのかもしれない。こちらが日にちを間違えたのかもしれない。先週の返事の書き方が、そっけなかったのかもしれない。そもそも、来たくないのを断れずにいるのかもしれない。
一つ思いつくたびに、それがもう決まったことのように見える。
台所の椅子に座って、机の上の携帯を見ている。見ていても、画面は変わらない。
いま、目の前にあるものを言ってみる。
九時二十分。連絡はまだ来ていない。約束は土曜の午後で、こちらの記憶では今日だ。天気は晴れている。
それだけだ。
そのあとに続いていたものは、全部、まだ起きていない。起きていないのに、頭の中では起きた形をしている。区別がつかないのは、どちらも同じ場所で見えるからだ。
言葉にすると、少し分かれる。
分かれたところで、来られなくなった可能性がなくなるわけではない。可能性は残る。残るから、こちらは椅子から動けない。
この落ち着かなさは、悪いものではない。
もし何も感じなければ、九時二十分に携帯を見てはいない。予定が宙に浮いていることに気づいていない。落ち着かなさは、まだ決まっていない、ということを知らせるために鳴っている。
鳴っているものを止めようとしても、止まらない。
止まらないので、鳴らせたまま、いま手が届くことを一つだけする。
短く送る。何時ごろになりそうですか。
送ったところで、返事は来ない。すぐに来るものでもない。
もう一つ。
昼のものを、先に作っておく。
何時に来ても出せる形にしておくと、その一点は、返事を待たなくてよくなる。
作っているあいだ、頭の中の場面は、少し薄かった。
十時十五分に、返事が来る。
来なかった十分のことも、来た一行のことも、同じ土曜の午前に入っている。
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