
これだけ覚えよう
- 自分には分かる話でも、途中を飛ばすと相手にはつながって見えない。
- 「AだからCです」だけで分からないなら、間にある「AだからB」「BだからC」を置いてみる。
- 「なぜそう言えるの?」と聞かれたら、相手が分からないのではなく、途中が抜けているのかもしれない。
- 自分の考えを確かめるときも、「その一つ前は?」と順番に戻ってみる。
- 相手も自分も、同じ道をもう一度たどれるように話をつなぐ。
石を、置く
「なぜ、そう言えるの?」
説明していて、そう聞かれたことはないだろうか。
自分の中では、つながっている。
けれど、相手には、話が飛んで聞こえている。
頭の中では、川を渡りきっている。
こちらの岸から、向こうの岸まで。
けれど、話すときには、渡った石を、相手の前に一つずつ置き直さなければならない。
自分に見えている石は、相手には見えていない。
前提から結論まで、相手が渡れる順に石を置くこと。それが、論理の運びである。
考えている本人は、いくつもの石を、一足で飛び越している。
何度も渡った川だから、どこに石があるか、体が覚えている。
だから、こう言ってしまう。
「要するに、こうなるよね」
聞いているほうは、途中の石が見えないまま、いきなり向こう岸を指さされている。
飛べる人には、飛び石に見える。
渡れない人には、切れた道に見える。
賢い人の話が分からないとき、こちらの頭が悪いとは限らない。
石の間隔が、開きすぎているだけのことがある。
その人は、たくさんの石を一足で越えられる。だから、間を置かない。
本当に説明のうまい人は、逆をやる。
相手の足が、次にどこへ届くかを見て、そこに石を置く。
届かない場所に石があれば、間へもう一つ足す。
自分の考えを確かめたいときも、同じことをする。
自分の考えにも、同じ石を置き直してみる。
なぜ、そう言える。
その一つ前は。
さらに、その一つ前は。
たどっていくと、どこかで、石のない場所に足が沈む。
「なんとなく、そう思っていた」
そこが、抜け落ちていた一段である。
自分では渡ったつもりで、実は飛んでいた場所だ。
順に置くのは、退屈な作業に見える。
近道を知っている人ほど、途中を省きたくなる。
けれど、省いた一段は、いつか誰かがつまずく。
自分がもう一度その道を通るときにも、同じ場所で足が沈む。
向こう岸は、見えている。
問題は、そこまで、相手が渡れるかだ。
石を、一つずつ、置く。
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