理解OS 第24章|誤解修正

これだけ覚えよう

  • 「実際に起きたこと」と「自分がそこから考えたこと」を分けてみる。
  • 「確認しました」と返事が来た。これは事実。「冷たい返事だ」「怒っている」は、自分が足した意味かもしれない。
  • 人は過去の経験や思い込みによって、同じ出来事を違って受け取ることがある。
  • 「それは本当に見えたこと? それとも自分が足した意味?」と一度考えてみる。
  • 誤解に気づくとは、自分を責めることではない。分かった事実を増やして、もう一度見直すこと。

六文字

時間をかけて作った提案書を送る。

一週間かけて調べ、構成を三度組み直し、深夜に最後の一文を直した。

返ってきたのは、六文字だった。

「確認しました」

画面を見たまま、しばらく動けなかった。

冷たい。

気に入らなかったのだ。

あれだけ時間をかけたのに、失望させたのかもしれない。

——けれど、画面にあったのは、六文字だけである。

冷たいとは、書かれていない。気に入らなかったとも、失望したとも書かれていない。

その三つは、こちらが足したものだった。

人は、世界をありのままに見ているわけではない。

経験。教育。文化。過去に言われた言葉。

それらが一枚のレンズになって、目に入るものの色を決めている。

そのレンズが曇っているとき、事実と、自分が足した意味の区別がつかなくなる。

曇りに気づき、事実のほうを確かめ直すこと。それが、誤解修正である。

問いは、一つでいい。

「それは、見えた事実か。自分が足した意味か」

見えた事実は、六文字。

足した意味は、冷たさ。

分けてみると、足したほうにも理由があることが分かる。

以前、提案を突き返されたことがある。

自分の仕事に自信が持てない時期が続いている。

この相手には、前にも短い返事をもらった記憶がある。

私たちは時々、相手の行動を見ているつもりで、自分の内側にあるものを見ている。

相手の短さの理由は、まだ何も分かっていない。会議の合間だったのかもしれない。長く書くと催促に見えると思ったのかもしれない。単に、そういう文体の人なのかもしれない。

誤解が生まれる場所は、二人のあいだだけではない。

大きな声は、少ない数でも目立つ。

強い言葉で書かれた意見をいくつか読むと、それが多数派の考えに見えてくる。

実際には、何も言わずにいる人のほうが多いかもしれない。けれど、黙っている人の数は画面に出ない。

私たちは、現実を見ているつもりで、目立つものを見ているだけのことがある。

そして、誤解が直ると、人の見え方まで変わることがある。

会議でいつも黙っている同僚を、やる気がないのだと思っていた。

あるとき、その人が「大勢の前だと、言葉が出なくなる」と話した。

翌週から、その人には会議の前に意見を聞くようになった。

事実が一つ増えただけである。それだけで、目の前の人が、別の人に見えてくる。

誤解を直すことは、正確になることであると同時に、相手をもう一度見直すことでもある。

レンズは、自分では見えない。

見えないから、人は学び、人と話し、旅をし、本を読む。

どれも、自分のレンズを外から見せてもらう行為である。

一つ拭いても、また別のところが曇る。それでも、拭いた分だけ、世界は少しずつ形を取り戻す。

画面にあったのは、六文字だけだった。

自分は、そこへ、どんな字幕を足したのだろう。



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