
はじめまして、と言われた。
名刺を、受け取った。
たしかに、名前を見た。
たしかに、顔も見た。
三分後、
もう名前が出てこない。
失礼にならないように、
「あの、すみません」と
聞き直すこともできないまま、
会話だけが進んでいく。
忘れたのではない。入っていなかったのだ
保護者会でも、仕事の場でも、こういうことは起きる。名前を聞いた。名刺も見た。なのに三分後には消えている。
私たちはこれを「忘れっぽい」と呼ぶ。でも、正確ではない。
忘れるためには、まず入っていなければならない。あの名前は、忘れられたのではない。最初から入っていなかったのだ。目と耳を通り過ぎただけで、頭の中に部屋をもらえなかった。玄関先に立った客に、名前も聞かず、顔も見ず、「どうぞ」とだけ言って、実際には通していなかった。
一方で、同じ日に会った人でも、覚えている人はいる。出身地が同じだった人。子どもの学年が同じで、しかも同じ担任に当たったことがある人。名字が珍しくて、思わず読み方を聞いた人。
何が違ったのか。
その人の名前に、枝がついたのだ。出身地という枝。共通の担任という枝。読み方をめぐる小さなやり取りという枝。名前が一本の棒ではなく、枝のついた木として入ってきた。枝が多いものは、頭の中で引っかかる。
前の章で、記憶の最初の工程を「入れる」と呼んだ。この章は、その入れ方の話だ。
そして先に結論を言ってしまうと、入れるとは、見ることでも、読むことでも、書くことでもない。
入れるとは、情報を、頭が扱える形に翻訳することである。
浅い入れ方と、深い入れ方
子どもの勉強を思い浮かべてほしい。
漢字を十回書く。英単語を赤シートで隠して眺める。教科書にマーカーを引く。ノートをきれいに写す。
どれも、勉強の風景としてはおなじみだ。そして、どれも、そのままでは浅い。
浅いというのは、手抜きという意味ではない。むしろ子どもは、まじめに手を動かしている。浅いというのは、その情報に対して、頭がほとんど動いていないという意味だ。十回書くとき、手は動いているが、頭は三回目あたりから留守になる。マーカーを引くとき、選んで塗る作業はしているが、内容について考えてはいない。
浅い入れ方は、玄関先の客を、名前も聞かずに眺めているのに似ている。何度眺めても、眺めた回数の分だけ親しくなったりはしない。
では、深い入れ方とは何か。
なぜ?と考えること。自分で例を作ること。似ているものと比べて、違いを言うこと。絵にすること。物語に入れること。自分の生活とつなぐこと。
共通点が一つある。どれも、情報を受け取るだけでなく、情報に何かを足している。意味を足す。映像を足す。感情を足す。つまり、枝を生やしている。
入れ方の深さとは、かけた時間でも、書いた回数でもない。
その情報に、いくつ枝を生やしたかである。
心理学ではこれを精緻化と呼ぶが、用語は覚えなくていい。枝、で十分だ。
言葉と絵の、二本足で立たせる
枝の中でも、とりわけ強い枝が一つある。
映像だ。
言葉だけで入れた記憶は、倒れやすい。文字列は、似た文字列とすぐ混ざるし、意味の手がかりがないと、思い出す取っかかりがない。
一方、絵だけの記憶は、曖昧になりやすい。「なんか、そういう感じの絵だった」で止まってしまう。
でも、言葉と絵が結びついた記憶は、二本の足で立つ。片方がぐらついても、もう片方から思い出せる。言葉を忘れても絵が残っていれば、絵から言葉へ戻る道がある。
子どもに説明するなら、こうなる。
言葉に、絵をつける。絵に、言葉をつける。
これだけでいい。この単純な原則が、この先の章に出てくるすべての技術──物語もメモリーパレスも──の土台になる。
音を、意味への入口にする
具体的にやってみよう。英単語は、この「翻訳」の練習台としてちょうどいい。なにしろ、そのままではただの文字列だからだ。
たとえば、swift。意味は「素早い」。
これをそのまま「swift、素早い、swift、素早い」と唱えるのが、浅い入れ方だ。音の列と日本語の列を、接着剤なしで貼り合わせている。
深く入れるなら、まず音を聞く。スウィフト。──スイッ、と聞こえないだろうか。スイッと素早く動く。もう、音の中に意味が住んでいる。
daunt。意味は「おじけづかせる」。ドーント。──ドーン!と大きな音がして、思わず身がすくむ。音がそのまま、怖がらせる場面になる。
orphan。意味は「孤児」。オーファン。──王(オー)のファン。両親を亡くした子が、王様の熱烈なファンで、いつか城に迎えられる日を夢見ている。少し切ない物語まで、音から生えてくる。
adequate。意味は「十分な、適切な」。アデクイット。──「味、きっといい」。適当に選んだ調味料なのに、味、きっといい、と自分に言い聞かせて鍋に入れる。適切かどうか、ぎりぎりの場面だ。
ばかばかしい、と思っただろうか。
そのとおり、ばかばかしい。そして、そこがいい。まじめな入れ方は忘れられ、ばかばかしい入れ方は残る。理由は簡単で、ばかばかしさは感情を動かすからだ。笑った情報には、笑ったという枝がつく。
ここでやっているのは、語呂合わせという小手先の技ではない。音を、意味への入口にするという、翻訳の一形式だ。文字列のまま玄関に立っていた単語に、顔と物語を与えて、家に上げている。
もちろん、カタカナの連想は音のとっかかりであって、実際の発音そのものではない。仕上げに一度、正しい音を聞いてなぞればいい。
「謝」の夜
漢字でも、同じことが起きる。
ある家庭での親子のやり取りを、少し整えて紹介したい。覚えるのは「謝」という字だ。ごんべんに、射る、と書く。
以前のこの家なら、会話はこうなっていた。
「覚えた?」
「覚えた」
「じゃあ書いて」
「……わかんない」
「なんで忘れるの?」
覚え方を変えたあとの会話は、こうなった。
「どんな絵にした?」
「口から矢が出てる」
「それ、どんな気持ち?」
「ごめんなさいって言ってる」
「じゃあ、この字は?」
「謝る!」
口から、言葉の矢を射る。ごめんなさい、という矢を、相手にまっすぐ届ける。そう見立てれば、言うことと射ることで「謝」。
注目してほしいのは、この絵を作ったのが親ではなく、子ども自身だということだ。口から矢が出ている絵は、お世辞にも上品ではない。教科書には載らない。でも、この子の頭の中では、「謝」という字が、意味と映像と感情のついた住人として、ちゃんと部屋をもらった。
そして親のセリフを見てほしい。教えていない。説明もしていない。聞いているだけだ。どんな絵にした? どんな気持ち? ──質問が、子どもの頭を動かしている。
教えすぎという、善意の罠
ここで、耳の痛い話を一つしなければならない。私自身の失敗の話でもある。
家庭教師をしていた頃、私はよく、説明しすぎた。
歴史の背景を、図まで描いて、流れるように説明する。子どもはうなずく。目も合っている。「わかった?」と聞くと、「わかった」と言う。手応えがある。いい授業をした気になる。
翌週、同じところを聞くと、何も残っていない。
私は当時、子どもの復習不足を疑った。でも、本当の原因は私の側にあった。私が上手に説明すればするほど、子どもの頭は、動かなくていい状態に置かれていたのだ。翻訳を、全部こちらでやってしまっていた。意味の枝も、映像も、私の頭の中には生えたが、子どもの頭の中には、何も生えていなかった。
ここから、一つの教訓が残った。
教えた量と、子どもが覚えた量は、一致しない。
覚えた量と一致するのは、子どもの頭が動いた量だ。深い入れ方は、本人の頭の中でしか起こせない。親がどれだけ上手な絵を用意しても、そのままでは親の記憶になりやすく、子どもの記憶にはなりにくい。下手でも、変でも、本人が作った絵のほうが強い。ただし、借り物の絵でも、本人が選び、作り変え、口に出した瞬間から、本人のものになり始める。その使い方は、第6章で扱う。
だから、親の仕事は、良い説明を用意することではない。
子どもが自分で枝を生やす時間と許可を渡すことだ。
許可、というのは大げさな言葉ではない。多くの子どもは、勉強とは正解を再現することだと思っている。だから、変な絵を作っていいとは思っていない。自分でキャラを決めていいとも、間違えて笑っていいとも思っていない。
その許可が下りた瞬間に、子どもの目の色が変わるのを、私は何度も見てきた。勉強が、正解の再現から、自分の工作に変わる瞬間だ。
親の質問リスト
入れる工程で、親が使える質問を並べておく。どれも、答えを教える質問ではなく、子どもの頭を動かす質問だ。
どんな絵にした?
その絵、どこが変?
どんな気持ちの場面?
どんなときに使う言葉だと思う?
似てるやつと、何が違う?
自分で例を作るなら?
コツは一つだけ。子どもが出してきた絵や例を、添削しないこと。多少ずれていても、まず採用する。笑えるなら、一緒に笑う。枝は、正しさではなく、本人が生やしたかどうかで強さが決まる。ただし、ずれているのが絵ではなく教科の事実そのものだったときの扱いは、第9章で決める。
今夜の小さなワーク
漢字を一つか、英単語を一つ、選ぶ。今週のテスト範囲から選んでもいいし、子どもが「覚えられない」と言ったものでもいい。
そして、親子で一つだけ、変な絵を作ってみる。
音から作ってもいい。字の形から作ってもいい。うまくやろうとしなくていい。今夜の目的は、覚えることですらない。変な絵を作っていいのだと、子どもが知ることだ。
もし子どもが何も思いつかなければ、親が先に、思いきりくだらない案を出す。親がくだらないことを言うと、子どもは安心する。そして、たいてい対抗してくる。「もっといいの思いついた」と言い出したら、この夜は成功である。
ChatGPTに聞くなら
「『縦』という漢字を、小学生が覚えやすいように、意味・映像・変な物語つきで説明してください。物語は短く、少し笑えるものにしてください」
出てきた案をそのまま使うより、子どもと「もっと変なの作れるよね」と張り合う材料にするのがおすすめです。
十回書かせる前に、一枚の変な絵を。
きれいなノートより、一本の枝を。
覚えるとは、押し込むことではない。
迎え入れることだ。